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紘道館9月例会報告

(日時)平成21年9月6日
(場所)上野ハイツ

我学ぶ、故に我あり
――あなたは素直? 疑い深い?――
 

○ 10:00〜11:00

館長講義

 

 浜岡塾頭が就任してから、館長が到着するまでの時間で柔軟体操と呼吸訓練、速唇術リーディング練習を行うのが慣例になった。
健康関係の仕事をしている浜岡塾頭だが、年齢は館長と同じ当年とって69歳。だがその肉体の柔軟なるには脱帽だ。まるで体操選手のように曲げた体が床に着く。
 日頃会社勤めで運動不足気味の30代、40代の塾生にはこうしたストレッチは脅威。イテテと顔をしかめながらも体を曲げる。
 やがて館長登場。シャーロック・ホームズの帽子は相変わらずだが、スズムシ君は今日はお留守番である。
 白板に書きつける。

写真をクリックすると大きな写真をご覧いただけます。
 


To doubt or not to doubt?
Doubting others first :debating skills (術)
Doubting yourself first:the principle of debating (道)


 

 他人を疑うのが「術」、自分を疑うのが「道」。
 そうか――今日は“疑う”がテーマであった。
 家に置いてきたスズムシに関して英語と日本語で話し始める館長。
 「飛行機に乗せようとしたら、係員に止められた。『動物はいけないんですよ』と。『動物ではない。昆虫です』『昆虫も動物じゃありませんか』」
 押し問答の末にカゴに布をかぶせることで機内持ち込みが許可された由。航空会社の方々、いろいろスミません。
 松尾芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」のドナルド・キーン訳
 The ancient pond
 A frog leaps in
 The sound of water.
を取り上げる館長。ここには「永遠」と「瞬間」が並立しているという。The ancient pondとA frogの関係。 TheとAのニュアンスの違い。なんとなくわかっているつもりの詩や俳句でも、英語というフィルターに通すと意味やイメージが解体し、真の理解を問われる。翻訳や通訳という作業は自分の頭に根付いた植物を絶えず掘り返して違う土壌に植え替えるような、根気と忍耐を要する仕事である。
 そんな作業を何十年とやってきた館長だが、最近はいたくスズムシをご寵愛の様子。 
 「最近は酒を飲んでキュウリにミソをつけて食べながら、スズムシの声を聴いてるの。ヘンな女よりよっぽどいいわ」
 “ヘンな女”とはひょっとして……などと余計な想像力を働かせないのが紘道館塾生たる者の礼儀である。
スイカやキュウリ、ニボシをそろえ、酒をチビチビとやりながらスズムシたちとお祭りをやったという館長。ご丁寧にそのときの様子を絵入りで日記に残している。
 「すずむし君 歌ってくれて ありがとう」
 松芭蕉の名句。スズムシ君も感涙にむせぶだろう。
 老いの孤独――じゃあなかった人生円熟の香気が横溢している(ような気がする)。

LかRか

 日本人は虫の声を音楽として聴くが、欧米人は雑音としてとらえると角田忠信氏は著書『日本人の脳』で述べた。“本当に欧米人は虫の声を楽しまないか”と館長が問題提起。
 海外経験豊富な塾生何人かに尋ねたところ、必ずしもそうとは言えないらしい。少なくとも虫の声を愛でるのは日本人だけ、と断定するのはまだ早計のようだ。
 「虫の声は英語でなんと表現する? Ring Ring Ringだ。なぜLing Ling Lingではなないんだろう」
 館長が問いかける。誰にもわからない。
 「Lはlinerでまっすぐだ。人間の知性のようにまっすぐに進む。一方、Rはまだ人間以前の声なんだ。roar(吠える)など、動物の声などはrで表現することが多い」
 LはLiner(線)でRはRound(円)、Repeat(繰り返し)――こう考えるとイメージが湧く。人間はまっすぐ進むが、動物は同じ場所をぐるぐる周りする。
 毎回ハッとするような展開を見せる松本言霊学。英語は苦手という人こそ、ぜひ聞いてほしい。

 
 
11:00〜11:20
食事準備
 
11:20〜13:00
DVD鑑賞

 食事をしながらDVD鑑賞。今日はアメリカ映画『 ダウト ~あるカトリック学校で~』。
 1964年のアメリカ、カトリック学校を舞台にした物語。シスター・アロイスは聖ニコラス・スクールの厳格な校長で誰からも恐れられている。そんな彼女にもたらされたのが、明るく進歩的な思想の持ち主で生徒にも人気があるフリン神父が、黒人の男子生徒と不適切な関係にあるらしいという情報。
 決定的な証拠などないのにかかわらず、「私には確信がある」とフリン神父を問い詰めるシスター・アロイス。 「あなたは一体何を見たのだ、証拠などないくせに」と激昂するフリン神父。二人の対立を軸に物語はクライマックスへとなだれ込む。
 シスター・アロイスを演じるメリル・ストリープはさすがに芸達者。厳格で非情な女校長を完璧に演じている。対するフィリップ・シーモア・ホフマンも、明るく朗らかだがどことなく油断ならないフリン神父に丸ごとなりきっている。
 二人の舌戦の凄まじいこと、恐竜の取っ組み合いのごとし。派手なアクションなどない会話劇だが、心理サスペンスとして第一級の見応えがある。

  
 
13:00〜14:30
映画解説

 見終わった後で、紘道館唯一のカトリック信者であるA氏に質問が集中する。物語ではワインが重要な役割を果たしているが、儀式でのワインの扱いや管理はどうなっているかを館長が尋ねる。A氏いわく「ワインはしかるべき場所に保管していますが、神父は酒飲みが多いです」とのこと。
 会話劇であり、注目すべき語句もいくつか。

 We are in it together 私たちは一蓮托生の関係である
 I was not inviting a guessing game 私はハラの探り合いをしたいのではありません
 Where's your compassion? 慈しみの心はどこへいったのだ

 劇中の会話を聞き取るのは相当、難しい。英語字幕がなければほとんどの日本人はお手上げだろう。
しかし映像は美しく、登場人物には存在感がある。シスター・アロイスの最後の台詞
 “I have doubts! I have such doubts!”
はあまりに意味深長。彼女のこれまでの人生がこの台詞に一挙になだれ込み、鉄のような表情に覆われていた内面の葛藤が、ダムが決壊したかのように放出するの観がある。
 本作がアカデミー賞の多くの部門でノミネートされたのも十分納得。 

 
14:30〜15:30
バイリンガルディベート準備
 
15:30〜16:30
バイリンガルディベート
 

テーマ:Doubt, instead of “Sunao”, should be taught to school children
小学校・中学校・高校では、「素直」の代わりに疑うことを教えるべきである

 子供たちには「素直」を求める日本の教育。しかしこれからの社会、本当にそれでいいのか。ディベート開始!

 
肯定側  Doubt, instead of “Sunao”, should be taught to school children
小学校・中学校・高校では、「素直」の代わりに、疑うことを教えるべきである
@ 物事にはすべて二面性がある。それなのに一面しか見ないから、オウム真理教のような組織にだまされる若者が出てきてしまうのである。幼いうちから疑問を持つことを教えるべきである。
   
否定側  Doubt, instead of “Sunao”, should not be taught to school children
小学校・中学校・高校では、「素直」の代わりに、疑うことを教えるべき――ではない
@ 教師の教えることにいちいち疑問を抱いていたら学習効率が落ちる
A 何事も疑うようになると健全な精神の発達が妨げられる
B 教師からの指示を疑うようになると集団行動に支障が出る
 

 ――今回も2ゲーム同時進行。上記は1ゲームの内容である。
 神奈川県の某名門高校の英語教師も参加した今回のディベート。彼によると授業に疑問を持つ生徒は、自分で調べて勉強するようになれば力も伸びるが、いたずらに疑問を持つだけではやはり学習効率が落ちるとのことである。
 物事には二面性がある、と肯定側。それを教えないからオウム事件のようなことが起きるのだ、と論じる。
 しかし教師の教えることに疑いを抱いていては勉強にならない。英語動詞の三人称・単数形・現在形になぜsがつくのかなどと考え込んでは先に進まないではないか……と否定側。
 どちらもそれなりの理屈を述べ立てる。
 ゲームは否定側の辛勝。肯定側はいま一つ哲学が立てられなかった。
 しかしそもそも「疑うことを教える」とは具体的にどうすればいいのだろう。

 
 
16:45〜18:30
TIME講義

 8月24日号にある“How the Virus Works”。これをなんと訳すか。
 「ウイルスの仕組み」である。
 ウイルス、という言葉から組織論へ言及する館長。組織の中にウイルスが入り込むと周囲に害毒をまき散らし、内部を崩壊させる。そうしたことが会社組織でもインターネットの世界でも起こっている。
 他に気になる箇所の説明。

 
 
○ 18:30〜
直会

 今日も直会にいたる。参加者も多く、盛況だった。
 ある参加者いわく、
 「ボクは間違いなく、この中で一番英語力がありません」
 それはいいのだが、その次に
 「実は英語をやる気もありません」
 ……こういう人を歓迎するのだから紘道館とは太っ腹なところである。彼は松本館長に惹かれてきた、とのこと。
 「やる気を出すにはどうしたらいいんでしょう?」
 甘ったれるんじゃない――などと一喝するような仁は紘道館にはいない。いろいろアドバイスする。とにかく皆さん親切である。
 誰にでも門戸を広げている紘道館。寛容なのか節操がないのか、多分両方である。
 “疑問を持つ”ということに関して、デカルトの「我思う、故に我あり」を思い出した塾生複数。すべてを疑っても自分自身だけは疑えない、という究極の発見。本当に確実なものをつかんだ、という宣言である。
 疑問を持つのも大切、しかし素直も大切。学生でも社会人でも、伸びるのはそういう人だろう。

 
 
※次回の例会は10月4日(日)、上野ハイツです。
 
文責 松崎辰彦