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国家を治めることを経綸(けいりん)という。
「みち」という音霊のルビをふることもある。
治国済民のみち(方策)―経綸。
経綸(みち)には、経(たていと)と綸(ふとい糸)の二本の糸が絡み合い、いつまでも繋がっている。伝統も“糸”である。血族は赤い糸で、霊統は青い糸である。
弘道館を紘道館と糸偏に改名したのも、日本の伝統(みち)の流れを汲んだものだ。
明治生まれの亡父が八紘一宇から「紘」の一字をとり、生後間もない私を廸紘と名付けた。人類を広い家に、そして「道」に導くようにとの願いを、その言霊に託してくれた。それを私は勝手に、水戸の弘道館のスピリット(霊)に触発されて道弘を改名してしまった。気負い過ぎていたようだ。

しかし、どいいう風の吹き回しか、還暦を越えた頃から、私に、亡父の遺志がどことなく伝わってきた。
弘道館の「弘」を「紘」に変えた理由もシンボリックである。
多分私の「意識の流れ」が、大(公)海を目指す川の“流れ”と合流したのであろう。流れとは「みち」のことである。そのspiritを守る物質的手段が「どう」である。「道」(どう)がprincipleとすれば、「術」(じゅつ)はtechniquesである。
術は道を求め、道は術で証(あか)す。紘道館は術と道の一如を実現させる磁場である。紘道館には20年を超える歴史がある。永遠に流れ続けたい。かんながらの道は、常しえに流れ、開闢し続けるnatural flowである。これぞ長命を寿ぐ“長寿”の思想だ。
まさに永く永く生き永らえる縄文杉のようだ。樹齢7200年とされている縄文杉を見たくて、屋久島を登山した。
棒のようになった足を引きずって、十時間以上も歩きながら考え続けた。
(紘道館はどうあるべきか)
それをICEEの基本哲学である六角ロジックで分析した。


屋久島は花崗岩から成る石山で、樹木が生き延びるには環境が厳しすぎる。
―だから石に負けぬように根(哲学、信念)を強く張る必要がある。太い根を。


台風の通過コースのど真ん中にあり、暴風で倒されるリスクは高い。
―だから、粘度の高い天然樹脂と分泌し低く太く年輪の相が細かい幹を鍛える必要がある。


台風がもたらす豪雨は、転げ落ちる巨石により樹木をなぎ倒す。
―だから枝も根も横に横に広げ、異木との交流を怠らない。
 この危機管理―United We Stand.


樹木が密集する山地では接触による山火事を発生させるリスクがある。
―だから杉たちは自らの珪素(シリコン)化に余念がない。化石が燃えるだろうか。
 志の化石とはcommitmentのことである。


一千年以上の縄文杉は老齢化するにつれ、バランスを失う。
―だから古幹の中は伽藍堂になっている。中は空っぽで、まさしく“中空”。
 この古神道の原理はシーラカンス(生きた化石)や古代高層建築にも用いられる。
 空(ゼロ)が天と地に分かれると、長寿が全うできる―外敵と闘う必要もなく

天に向かって、屋久杉は「父」のように闘う―「攻」める

地に向かって、屋久杉は「母」のように地中に根を張り、子孫を残す―「守」る

縄文杉の自己防衛能力を一言で纏めたい。
あらゆる環境に恵まれていなかったからこそ、より真剣に行を修めてきたのだ。危機意識がなければ、危機管理能力や防衛意識は育たない。
紘道館もナニワ英語道の経綸(その結晶がICEEシステム)を死守していきたい。屋久島の「気概」と縄文杉の「品格」そして「風格」を鑑(かがみ)として、師弟共「行」を続けて行こうではないか。

松本道弘