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紘道館10月例会報告

(日時)平成19年10月7日
(場所)上野ハイツ

たかが英語 されど英語 〜國弘正雄氏、来館す〜

○10:00〜12:00 松本館長講義(英語と日本語)

カマキリとともに登場

 やや大きめの風呂敷包みを大事そうに抱えて登場した松本館長。いつも通りの精神統一の後、おもむろに風呂敷を開く。そこにあったのは―― 
 やや、ごそごそ動くカマキリ君?
 目を丸くする塾生に背を向け、板書を始める館長。 translation・interpretationなどの単語が見える。
 そして英語で講義スタート。内容はカマキリ――mantisについてだった。
 恩師・西山千氏の逝去以来、なぜかカマキリにとりつかれている松本館長。9月29日のイベント『松本道弘維新の集い』にもこのカマキリ君を伴い、集まった100名近い参加者を驚かせた。

 
写真をクリックすると大きな写真をご覧いただけます。
 

 “カマキリは聞き上手で自分からは何もしゃべらない。2本の触覚で周囲の情報をキャッチする。まさに優れた営業マンではないか”
 “カマキリは細い。ダイエットする必要がない。人類より生き延びるだろう” 
 “カマキリは英語でpraying mantisとも言う。これは前足が祈っているように見えるからprayという名前がついたのである”
 カマキリをめぐる数々のウンチクを披露する館長。カマキリ関連の書物を相当数、読破していることが想像できた。
 しかしなぜ、カマキリなのか?
 説明では奥飛騨の旅館で西山千氏を偲んでいたとき、突如として部屋にカマキリが訪れたのだという。それを見て反射的に「西山先生!」と叫び、そのカマキリを捕獲、カゴに入れて随伴しているらしい(カマキリにすればいい迷惑のような気もするが……)。
 心の空白に突然、飛び込んできた自然のメッセンジャーに魂を奪われた松本館長。われわれ凡人には理解できぬ常識を超えた行動につきあうだけで、塾生は退屈しない。 
 

 “That's the Resurrection!”――「復活」とは?

 今日は國弘正雄氏も来られ、西山千氏の思い出を語られる重要な日である。話題は自然に亡き西山氏のことになった。
 日商岩井を辞め、妊娠中の妻と子を残して山に篭もった当時30歳の松本館長。アポロが月に着陸したことで世間が沸き立っていたことも知らなかったという。ヒゲを伸ばして山を下り、周囲から変人扱いされた。
 その後紆余曲折を経てアメリカ大使館に同時通訳者として採用され、アポロの通訳者だった西山千氏と出会う。 
 アメリカ大使館の時代は、松本青年にとって修羅の日々だった。西山師匠の容赦ないしごき。ハタで見ていた村松増美氏は「あれじゃあ松本さんが可哀想ですよ」と擁護した。だが西山氏は「いや。本人がしごいてくれと言うんだから」と取り合わない。
 さらに一度でも訳し間違えたら即「解雇」という恐ろしいアメリカ大使館のルール。西山氏は「アメリカ人は通訳者は絶対ミスを犯さない機械だと思っている」と嘆いた。
 この時代のことを、松本館長は折に触れ回顧する。おそらく40年近くたった今ですら、言いたくても言えないことがたくさん、あったのだとうかがえる。
 こんな館長個人の歴史の後、英語の話題に入っていった。キリスト教の『復活』に焦点が当てられる。
 カマキリ君が部屋を訪れたとき、館長は“That’s the Resurrection!(これぞ『復活』だ)”とばかりに喜んだ。亡き西山師匠が帰ってきた、と。だがのちにこの話を聴いた教会の外人牧師が「それを『復活 the Resurrection 』とは我々は呼びません」と冷静に言い放ったとか。真面目な牧師さんである。
 それでは『復活』とはそもそも、何なのか――クリスチャンの塾生が特に発言を求め、皆に説明した。
 彼の熱弁にも関わらず、彼の信奉するキリスト教の教義は決してわかりやすくなく、日本人に馴染めるものではなかった。『復活』……わかりにくい。イエスの十字架における死とその後の“復活”こそがここでクローズアップされるわけだが、信仰というものにあまり親しみのない大方の日本人にとって、『復活』は現実離れした神話にすぎない。さながら信仰の要にある異様な神秘性をもったイベントとして、そのステンドグラスのような光彩を手探りで感受するほかなさそうである。 
 館長いわく「聖書を学べ。聖書を学ばなければディベートはわからない」
 ――こうして話題を次々に変転し、カイコが糸を吐くように日本語と英語で言葉をつむぐ館長だったが、今日は塾生を一人ずつ前に出し、同時通訳のパフォーマンスをさせた。館長の日本語を、瞬時に英語に変換する。火と水ほどに離れた言葉をいかにつなげるか、そこには言葉を超えた玄妙な境地が広がっている。
 同時通訳は本当に難しい……松本館長への尊敬が増すのは、こんなときである。

 


○13:00〜15:00――國弘正雄氏・松本道弘館長対談 〜故・西山千氏を偲んで〜

困難をきわめたアポロの通訳

 國弘正雄――「同時通訳の神様」と呼ばれ、西山氏とともにアポロの同時通訳をした伝説的名通訳者。政治家としても活躍し、頑固な護憲派として知られた。
 英語教育者としては同じ文章を何度も読み、筆写する「只管朗読」「只管筆写」の方法論を世に広め、多くの信奉者を得た。
 今日はこんな國弘氏を招き、松本館長とともに故・西山千氏を偲ぶという紘道館ならではの企画が持たれた。
 「西山先生は昨年の8月に奥さんを亡くされ、その前にはたった一人の娘さんを亡くされ、淋しかったに違いない。それでも、95歳の天寿を全うされました」
 西山氏を回想する國弘氏。現在では語りぐさになっているアポロの月面着陸の同時通訳について、思い出を語る。
 「ボクは天文学なんか興味なかったんです。人間がお月様に行こうがどうしようが関係ない。だから最初はアポロの話がきても断りました。でもNHKの人に何度も頼まれて、しまいには引き受けざるを得なかった。
 あのときは西山先生にお世話になりました。西山先生はユタ州立大学で修士号をとられ、逓信省に入られました。もともと技術畑の方なのです」
 しかし、実況の同時通訳は困難を極めたらしい。
 「月と地球は38万qから39万q離れているんです。それに電波もさらに遠くを経由したりしていて、何を言っているのだかわからない。それで通訳するのは大変でした」
 西山氏と國弘氏がアポロの同時通訳をやったとされているが、NHK以外の民放では村松増美氏や鳥飼玖美子さんもやっているとのこと。日本の通訳界を代表する錚々たる面々が、“月への一歩”を英語から日本語に訳していたのである。
 「西山先生は寡黙な方でした。あるときバスの中の見知らぬ老婦人から『あなたのおかげで月面が見られました』と感謝されたことを多としておられました」
 松本館長も回想する。
 「西山先生はあんなにこやかな顔をしているようですが、あれは仮面でした。怒るときは青筋建てて、恐ろしい顔になった。そんな先生でしたが、ライシャワーさんが駐日大使となり、その下で仕事をしていたころが黄金時代だったのではないかと思いますね。ライシャワーさんの話題になると、先生は相好を崩されました。
 私自身の黄金時代は37歳で、NHKに登場したときは花が咲いたように思いました。自分には力があるんだと思い上がりました。でも、今にして思えばそれは間違いでした。すべては西山先生にしごかれたからこそなんだとわかりました」
 ライシャワー氏(Edwin Oldfather Reischauer 1910〜 1990)は元駐日アメリカ大使(在1961〜1966)。日本生まれで日本国民からも多くの人気を博した。西山氏はライシャワー大使の下、同時通訳として多くの仕事をなした。
 國弘氏は回想する。
 「ライシャワーさんは非常に見識のある人でした。人間的な魅力もあった。
そんな彼が、あるときボクに仕事を依頼してきたのです。それが自分の書いた本を日本語に翻訳してほしいというものだった。『ザ・ジャパニーズ』(文藝春秋)という本です。ほかならぬライシャワーさんの頼みだから、というわけで、大変分厚い本でしたが時間をかけて訳しました。
 それを日本で発行したら大変なベストセラーになったんです。当時で75万部も売れました。もちろん、翻訳したボクへの印税も大きな額だった。ライシャワーさんはそのことに関して『印税は、あなたにちゃんと払われていますか?』と気を遣って下さいました。ボクは『ライシャワー先生ご心配なく。2週間に一回、払われています』と答えました(笑)」
 多くの人に敬愛された親日アメリカ大使。しかし日本への思い入れが強すぎることもあったという。
 「ライシャワーさんの父親オーガスト・ライシャワー氏は東京女子大の設立にもかかわった人です。そういうこともあってライシャワーさん自身、日本への思い入れが強い、というか強すぎた。そんなに気を遣ってくれなくていいのに、と思うこともありましたね」
 当事者しか知り得ない数々の裏話。“歴史の証人”として、國弘氏の話には千金の価値がある。

通じた! 通じた! 通じた!
 

 國弘氏はかつて政治家の三木武夫氏に見出され、秘書官・特別調査官・外務省参与として政策決定に大きな影響力をもった。当時の思い出を、國弘氏は語る。
 「三木武夫さんに無償の献身をしました。正直言うと、秘書官なんてしているよりも通訳をしていたほうがお金になるのです。でも、日本をもう少しまともな国にするためにはどうしたらいいか。三木さんを動かすことがそのための手段だ、と考えました。
 通訳する際も、“三木武夫を男にしてやろう”と思って、三木さんが人からよい印象を持たれるように通訳していました。三木さんも“國弘は私のことを思って通訳してくれているんだ”とわかっていました」
 松本館長「でもそれ、アメリカ大使館なら首になりますよ」
 國弘氏「そうですね。通訳という仕事は大変な仕事なのに、社会的に評価されませんね。ボクは若い人に通訳になれと言ったことは一度もありません。翻訳は別ですよ。森鴎外なんかドイツ語の翻訳でいい仕事をしていますからね」
 そもそも、國弘氏を英語に向かわせたものとは何だったのであろう。
 「ボクが神戸一中の2年生のとき、13歳か14歳のときでした。ボクは英語がかなり好きだった。いい先生がいたんです。音読を本当にやりました。ひたすら声に出して読みました。
 そうしているうちに、やはり生きた本国人と話をしてみたくなるわけです。当時は今みたいにテレビをつければ外国人がでてくる時代じゃありません。アメリカ人もイギリス人もいないんです。ではどうするか。
 ボクは捕虜収容所に行けばいい、と気づきました。あそこなら生きた外国人がいるだろう、と。いま考えても、これは見事な着想だったと思いますね。
 それで本当に当時灘駅近くにあった捕虜収容所に行ってみたんです。そうしたらいるいる。生きた外国人がオリの向こうにいるんですよ。8月の暑いときで、上半身裸で、毛むくじゃらの、鬼のような外国人たちでした」
 「そんな中で一人だけ、20歳くらいの背が低い男がいたんです。ボクの顔を見てニコッと笑ってくれました。(これだ、この人となら話ができる)ボクは思いました。彼はおそらく、故郷に残した弟のことでも思い出したのでしょう。
 ボクは“あなたはどこから来たんですか?”と聴きたかったんです。いまなら中学生でも高校生でも “Where are you from?” くらいは知っていますよ。でもボクは知らなかったから、オリをへだてて“What is your country?” と聴いたんです。英米人に言わせれば、おそらく『そんなひどい英語はないよ』となると思いますが、ボクは他に知らなかったんですから。
 すると彼は一層、笑みを開いて“Scotland”と言ってくれたんです。この一言だけ。それならボクにだってわかりますよ。
 ボクはそれを聴くと(わかった!)と感激し、(通じた! 通じた! 通じた!)と心の中で叫びながら、家まで走って帰ったんです」
 松本館長「感動的な話だな」
 國弘氏「いまにして思えば、このことが初体験となり、ボクの英語人生が狂わされたような気がするんです」
 “狂わされた”とするところに、なんとも妙味がある。
 現在の英語の現状について、國弘氏は語る。
 「国際交流の80パーセントは、英語で行われているそうなんですよ。これはどうしようもない事実です。そしてボクたち日本人がこれから運命をかけていく東アジア――中国・朝鮮半島・ベトナムといった国々は、英語を必死にやっています。
 なんで日本人が、アメリカ人などが使っている言葉をやらなければならないのか。そう憤慨したって仕方がありません。残念ながら世界は英語なんです。英語は“必要悪”――あえて言います、“必要悪”――として、学ばなくてはいけないんです。たかが英語、されど英語なんですよ」
 「それにね、ボクは思うんですよ、これだけ英語の看板が街にあふれている時代に、どうしてたかが英語ぐらい、ものにできないのかといいたいですね。たかが英語じゃないですか、たかが。それがボクには、まったく理解できない」
 英語教育界の重鎮として意見を述べる國弘氏。その語り口はやわらかい中にも時に毒もあり、聴衆を頷かせたり笑わせたり、人生の風雪を感じさせるものだった。
 松本館長も國弘氏から巧妙に話を引き出し、西山千氏を中心とした往時の同時通訳界の人間模様を照らし出した。
 英語に人生をかけた二人の男。かつては強烈なライバル心をもって意識したに違いない両者は、「英語難民」あふれる日本を憂う憂国の士として、ともに握手を交わす年齢になったようである。

   

○16:00〜18:00 松本館長講義 TIMEから

 

 TIME10月8日号より
 P52
 「芸術作品にくわしくなるにはどうしたらよいのか」という記事だがタイトルが“Look and Learn”。すぐれた芸術作品がほしい、そんなときにはどうしたらいいかが述べられている。
 館長いわく「Lで始まる単語はこちらから働きかけるというニュアンスが強い。look、learn、light、いずれも積極的な雰囲気がある」
 この場合のタイトルは、「目で確かめて学べ」といった意味。こちらから積極的に見て、自主的に学べといった意味か。
 いくつかポイントがある。「Do your reserch調査しろ」「Study artists作家について学べ」「Go to fairs展示会に行け」「Employ an art adviserアドバイザーを雇え」だが最終的には
「Buy what you like気に入ったものを買え」……となる。
 Buy what you like and don't be afraid to be unfashionable. Successful collectors don't follow trends;they set them.
 流行外れになることを怖れず、気に入ったものを買え。すぐれたコレクターは流行を追わず、流行を作るものである。
 “流行を追わず、流行を作る”の一文にピンときた館長。「これが磁石人間だ」と例によって磁石人間・電池人間の色分けをする。流行を追うのが電池人間、流行を作るのが磁石人間、と。
 他にこの一ヶ月のTIMEから、気になった数カ所について説明。

 
○18:00〜 直会
 

 すべての講義終了後、「ありがとうございました!」のかけ声とともに全員、館長に礼。館長も塾生に礼。
 しかし今日はもう一つ「西山先生に、礼!」という館長の声。何事ならんと目をやると、カマキリに深々と頭を下げる松本館長。
 カマキリは館長に礼はしない。
 講義中も折に触れ、西山千氏の思い出を語る松本館長。館長がいまに至るも、西山氏に最大の尊敬と敬愛を抱き続けていることを、塾生一同感じている。
 國弘氏の来館もあって、多くの参加者を見た10月例会。直会も、盛大なものとなった。 

 
 

 

文責 松崎辰彦


※10月例会も、つつがなく終了することができました。國弘先生、参加者の皆さん、ありがとうございま
 した。

※次回の例会は11月4日、上野ハイツです。