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論道とソクラテス対話のすすめ 〜その1〜

ディベートとはバランス思考である。人はだれしも論争すれば、極端に走りがちだ。とくに議論好き(arguers)はそうだ。しかし本物のディベーターは心と魂に重心≠持っているから、急激に思考や哲学がブレることはない。

ソクラテスは、論争する前に、まず重心を求めた。He centered himself. だ。私はその重心をハラに置く。Socrates was a well-centered person.(ソクラテスにはハラがあった)。
だから、私は彼を昔から尊敬して止まないのだ。

彼は真理の追及を中心に置く。ある時は信じ、ある時は信じないという軽率な人間ではない、ディベート道のロール・モデルだ。血液型は遺伝学派。それを信じない人は、環境学派。氏か育ちかという議論は、昔から続いている。

DNAを無視して、環境が全てというのは極論。血液型は全くのデタラメと全面否定するのも極端。正しいのはその中間 ―― somewhere in between ―― であろう。そのcenterを求めるのがディベート道である。

ソクラテスの対話(dialogue)は、あくまで真理の追及である。ディベート道の基本はここにあった。プロタゴラスは、ロジックを弄んだ。聴衆の面前で問う。「人間とは何か」と。一人が「人間とは二本足の動物で…」ともたつく。

その時、プロタゴラスはニワトリをカゴから取り出して、両足を握って逆さにしてからこう問う。「ではこれが人間か」と。ソクラテス風の再反論で笑いをとる。大衆受けするentertainingなスピーチだ。今のアメリカと日本は、かなりローマ化している。

ローマ化とは、エンターテーメント化のことだ。今の日本のテレビ番組のように。このプロタゴラスの詭弁術を一番苦々しく思ったのはソクラテスだ。「ディベートはお遊びではない。真理の追及なのだ」と、よほど不愉快に思ったに違いない。

しかし、このプロタゴラスのディベートがローマ、そしてラテン諸国、ヨーロッパを経て、イギリス、アメリカに飛び火した。アメリカ型のディベートは、「術」、つまりプロタゴラス流派の延長だ。

その2につづく

 

2008年12月9日
紘道館館長 松本道弘