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トウキョウ・ソナタ 〜その1〜

人が血液型を話題にする時は、幸せな時に限られる。不幸が訪れると、血液型は話題に上らなくなる。思考はジャンプする。Cross the lineといおうか。そういう思考の領域を越えさせるほどの感動的な映画があった。『トウキョウ・ソナタ』。
思考をジャンプさせるには、if(もしも)という補助線を用いることである。

もしも、あなたが急にリストラされたら。
もしも、あなたの父がリストラされて、その恥ずかしさのために女房に伝えられず、毎日のようにハローワークへ通い、公園のホームレスまがいの生活を続く、ショッピングの清掃員の仕事しか残っていないなら。

「どんな仕事でもやります」と頭を下げる哀れな姿が自分のそれと二重映しになる。
文筆家の私にとり、身につまされる情景だ。
私から、英語とペンが奪われたら何も残らない。

運転、機械(IT)、ワープロ編集、書類代筆業、スーパーのレジ、清掃員
―― どの仕事もない。68歳になれば日雇いの仕事も難しそうだ。

なんでも仕事は選びません。―― そんな贅沢な発言は私には許されない。
私の家庭では、パパがリストラになったら、というよりママが倒れたら、の方が切実な問題だ。私は、路銀(交通・宿泊費などの遊学費)を削ればなんとかやっていけるが、家族一家が路頭に迷うと考えると、心をして寒からしめるものがある。

もし何かが起こったら、四人家族は不協和音に囲まれる。バラバラ。ふと血液型の話題が消える。もっと大切なのは、父親の威厳、品格。いや、父親の面子だろう。
どこまで面子(プライド)が捨てられるのか。

その2につづく

 

 

2008年11月11日
紘道館館長 松本道弘