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血液型と私 〜 その1〜

O型分析を進めながらふと考えた。
O型運転手は、目的地を定めたら、ためらわず真っ直ぐに突き進んでいく。
ここまではよい。その後、「途中で何人ケガ人が出ても」とブログでつけ加えた。

ひどいことを書いたものだ。そう言ったのはO型のインフォーマントであったが、彼は半分ジョークで言ったはずだ。勢いがあまったら、いかに過激な発言でも撤回はせずに進んでしまう。その発言に矛盾があったとしてもお構いなしに暴走する。

こういうお寒いジョークを使うのも、リスクを恐れぬO型らしい。しかし、そういう冗談をさも公式の場での発言のごとく、ブログに載せたのは、文責を担う私としては反省せざるを得ない。

文脈を外して都合よく引用するのは、意地悪なジャーナリストがよく使う手だが、その手口で傷つけられたこともある私には、その痛さがわかるだけに、道義上許されない。ペンを持つ人の礼儀だ。

A型を代表して、いや、A型仲間を怒らせたくないので、私個人を代表して謝罪したい。
今私が書こうとしたのは、そういうことじゃない。私のディベーターとしての執筆姿勢についてである。

私は、今も日本の教育改革(教育道)を企んでいる。教育現場は荒れている。教育そのものの在り方を原点に戻す方法論としてのディベートである。ディベートは「術」、英語道の「道」と矛盾はしない。

そんな求道者がなぜ血液型にそこまで思い入れするのか。
一言でいえば、求道者の「道草」、いや私にとり好奇心から自然発生したjokeなのかもしれない。

Jokeは、単なる冗談ではなく、耳に、そして眼にした人にとり、真実であるかもしれない。「笑い」は浄化作用(カタルシス)がある。笑いは攻撃的だ。しかしそんな毒でも、いや毒だからこそ薬になる。血液型気質論はヤヌス的なのだ。

その2につづく

2008年10月10日
紘道館館長 松本道弘