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空気が裁く日本 〜 その1 〜

日本は法治国家といえども、人を裁くのは「空気」である。少なくとも正義は人を裁く基準にはなり得ない。日本的思考は「both A and B」である。
……Aさんの仰っていることは判りますが、Bさんのお気持ちもよく判ります…
……どちらも本質的に同じことを仰っているのですが…

と、「裁き」を避けるのが日本の精神風土である。
本来「裁き」とは、「A or B」である。神か悪魔、正か邪 ―― その中間はない。
ギリシャ論理でいう「排中律の法則」(The Law of Excluded Middle)が、裁きの基本だ。

justice(正義)のシンボルは秤である。ディベーターとしての私の悩みは、ジャッジとなれば、空気に逆らって、論争者のどちらかの側に軍配を挙げなければならないことだ。
私も日本人だ。できれば、どちらの立場も判る、と枕詞を述べて、引き分けにしたくなる。

それにより両者の面子は保たれる。しかし、debateという建設的な議論で、面子や体面といった「情理」を持ち込むことは禁忌である。空気を敵にするからである。
あくまで、ひいきなど、個人的感情によって判断を曇らされないよう、心を鬼にして、是々非々で裁かなければならない。

たとえ空気に逆らってでも。
それは、ディベーターにとり、tough choiceだ(tough choiceについては、近々ナニワ英語道ブログで述べる)。

できれば裁きたくない。頼まれても論争の判定だけはやりたくない。
逆恨みはごめんだ。山本七平氏が私の夢枕に立った。
あの日の朝…。

その2につづく

2008年2月26日
紘道館館長 松本道弘