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「紺碧の聖母:マザー・テレサ(1)」 青い糸第二章 9.より

CNNインターネットニュースのトップを、マザー・テレサの私書が飾った。神の存在を疑う手紙。青と白のサリー姿の、あのマザー・テレサが、神を信じていない時もあったとは。一神教の信徒にとり、この暴露記事は重大である。

彼女をいかに定義するべきか。ディベーターの私にとり、気になる人物だ。
かつて、彼女の奉仕の姿をこの目で確かめたいと、カルカッタのカリガートの大寺院を訪れたことがある。

彼女の他愛的活動には、誰しもが脱帽する。
しかし、そこはヒンズー教国のスラム街。両親から見捨てられた多くの赤ん坊は、シシュ・ババン(聖なる子供の家)でシスターたちの胸に抱かれ、初めて愛されていることを確認する。身体を洗われ、抱かれて、天国へ召されていく。

多くのヒンズー教徒たちは、ここに疑問を感じる。短い命。儚い。群青の彼方の死後の世界は、本当に白色なのか。
天国は白い。黒い地獄とは対極にある。
死後の世界は、白(正)と黒(邪)を超越した「空」の世界ではないか。

ニルマル・ヒルダイ(清い心の家=ベンガル語)で死を待つ人々の心境は、いったい何色の世界へ旅立とうと望んでいるのであろうか。気になる。
ヒンズー教徒は、ヒンズー教徒が望むガンジス川へ。
イスラム教徒は、コーランに従い、キリスト教徒は、新約聖書の教え通りに、あの世に送る、という方針だったらしい。

しかし、多くのヒンズー教徒は、救いようのない弱者たちをカトリック教徒に改宗させるのか、やり方が汚い、と憤り、シスターたちに石を投げつけたという。

だが、彼女は信念を曲げない。哲学もしっかりしている。
「私は、社会全体を良くしようとか、苦しみのない社会を作ろうとかしているのではありません。それは他の人がやるでしょう。私は修道女です。何万ドルもらってもできないようなことでも、神さまのためならできるのです」

神に対する揺るぎなき信念。

それに較べ、師・故西山千に対する私の信念は揺るぎっぱなしだった。
(本当に、この師についていっていいのか…)

マザー・テレサの幼少の名前は、アグネス・ゴンジャ(アルメニア語でつぼみ)。
いい名前だ。いずれ咲く―― 環境が整えばの話だが。

インドという土壌が、アグネスをシスター・テレサに、そしてマザー・テレサに開花させたのではないか。

…つづく


2007年9月11日
紘道館館長 松本道弘