::松本道弘 巻頭言
::例会報告
::松本道弘プロフィール
::紘道館とは?
::英語道とは?
::館長ブログ
::松本道弘 日記
::斬れる英語コーナー
::書き下ろしエッセイ
::松本道弘著作集
::講義用テキスト(PDF)
::松本道弘対談集(動画)
::ナニワ英語道ブログ
::日新報道
::TIME asia
::ICEEコミュニケーション
  検定試験
::ワールドフォーラム
::フィール・ザ・ワールド
 
お問い合わせ先

英語道 ―― 秘すれば花(破 ― その2)

前回の「破」に続く。

「又事に因りて、濃き薄きを知るべし」

英語も物真似から始まる。
「日本人は日本人英語でいいじゃないか」と自己弁護して、ネイティヴ英語を真剣に真似する稽古を軽んじてはならない。

だが同じ真似でも、英語でいうコピー・キャットになってはいけない。
個性はどこかに残しておくべきだ。
「濃き薄きを知れ」、とはそういうことだ。

「稽古は強かれ、情識は無かれ」

努力は懸命に、しかし自己勝手では効果がない。情識とは、強情とか頑固といった、凡人のもつ迷いの心のことである。いくら英語が巧くなっても、地位があがっても、独善に陥ってはいけないのだ。

日本人英語はそれでいい。しかし、ネイティヴ英語をしゃべる帰国子女が許せないと、妬みを顕わにするのは、慎むべき情識だ。

ただ物真似とはいっても、大道芸人のような物真似であっては困る。
ネイティヴらしさ(私は仕事上、ネイティヴを演じるが)を競うことは無意味である。

宮本武蔵は、こういう外見美やカッコ良さを嫌った。
やはり、「秘すれば花」である。

私の英語も、書かれた英語と話された英語をほぼ10%(厳密には9%)にとどめ、90%を秘すべき情報として使わぬことにしている。

とはいうものの、生活に追われたり、なんらかの事件で心が揺れると、目立とうとしたくなる。その衝動がアウトプットを増大させる。心の軸がぶれ、見苦しくなる。9%対91%の比率が崩れるからだ。

37才でNHKテレビに出演した時は、時分(じぶん)の花(temporary flower)で、真の花(real flower)ではなかった。
だから、萎むのも早かった。

…「破−その3」へ続く。


2007年9月4日
紘道館館長 松本道弘