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同時通訳の名人 ― 後編 ―

―― 気風の違い

同時通訳の名人は、息の抜き方を知っておられた。
それがテニスであろうと、ディベートという知的スポーツであろうと、レクリエーションの術においても名人であった。

recreationは、日本語では単なるレジャーや気晴らしと同一視されるが、本来の意味は、ラテン語のレクリアチオ(recovery from illness)であり、回復≠ェその寓意なのだ。

思いつめる30歳の七段と65歳の名人とは、体力的なハンディーには差があっても、回復力においては名人の方が優っていた。

師は、反省会というものを好まれなかった。
He just let it go.  過去は過去として、水に流されるのだ。
私は同時通訳のことが気になって、眠れない夜が続く。疲れはとれない。
思いつめる人間は損だなと、何度思ったことか。

しかし、そういう粘着体質は、師の追悼執筆の時は、大いに助かる。
思いつめることができるからだ。少なくとも喪が明けるまで、毎日毎晩師の影を追うことができるし、それが負担どころか楽しいのだ。

今、海を見ながらこのブログを書いているが、原稿用紙のそばには、古ぼけた小説『名人』(角川文庫)が横たわっており、何かが、そして誰かが、私に話しかけてくる。潮騒までが。

昨日は久しぶりに神島を訪れ、師の晩年に近い老人ばかりに会って昔話をした。
米大使館から離れ、ソニーへ、そして70歳以後の名人の心境と消息はどのようなものであったのか。

もう、アポロの話が通じない若者が増えてきた。
三島由紀夫も歴史上の人物になってしまった。
今中断している三島由紀夫が投げた『青い糸』は、私にとり息抜きで、recreationなのかもしれない。

昨日、懐かしい寺田こまつ女史(77)と二人っきりで、三島由紀夫の想い出を語り合った。三島由紀夫が当時漁業組合の会長でもあった寺田宗一氏の一室を借りて『潮騒』を書き始めた頃、こまつさんは、新婚ホヤホヤの20歳だったという。

「三島先生の頃の神島は、一番活気のあった頃でした。今や、独り暮らしの老人の多い島になりましたが、ボケ老人はいません」

どうやら周囲に気を遣う生活は、ボケ封じになるのだろう。
緊張のある生活は、recreationを求める。回復意欲のある間、人はボケない。
大成し、ヒマができ、生活が安定した途端、人はボケ始めるという。

師は、95歳で天寿を全うされた。
ボケずにどこで息抜きをされていたのであろうか。
同通の名人は、人生の名人でもあったような気がする。

「気がする」だけでは、本腰を入れて「同通の名人」を書き始める気にはなれない。エンジンがかからないのだ。

囲碁の名人本因坊秀哉(本因坊家元21世)は、打ち継ぎの間は将棋を楽しんだという。
企業乗っ取りの天才・T.ブーン.ピケンズは負けず嫌いで、ボード・ゲームをするときでも真剣だったという。

名人の生き方には、どこか「遊び」がある。


2007年8月14日
紘道館館長 松本道弘