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『佐賀のがばいばあちゃん』に泣き笑い―前編

 ディベーターは、俗受けする本にはクールだ。空気≠ノのる大衆は思考を失っているから、読むに足らぬと思ってしまう。その一例がすでにこの館長ブログで酷評した『鈍感力』(渡辺淳一著)である。
どうせ今ホットな『佐賀のがばいばあちゃん』も同じく噴飯ものだと高を括っていた。ところがこの本、内容がある。元気づけられる。人にも勧められる。
この小気味よい開き直り。

 「うちは明るい貧乏だからよか。
それも、最近貧乏になったのと違うから、
心配せんでもよか。
自信を持ちなさい。うちは、先祖代々貧乏だから」

 先祖代々というのが愉快だ。このばあちゃんの生家は持永家といって、代々、佐賀城主、鍋島藩の乳母をつとめていたというから、どこか品格が見え隠れしている、という。

 「本当の優しさとは、他人に気づかれずにやること」

 この薄っぺらい文庫本に、知恵が弁当のように詰まっている。そういえば、弁当の話もあった。

 「先生、なんかさっきから腹が痛くてな。お前の弁当には梅干しとかショウガが入っているって…。お腹にいいから換えてくれ」

 このあたりは泣かせるくだりだ。
私の小学校の頃も昼食は楽しくなかった。弁当が苦痛の種だった。醜く変形したアルミの弁当箱の中はサツマイモばかり。梅干と少量の米粒が申し訳なさそうにくっついている。隣の生徒の弁当には、真っ黄色な卵焼き。堂々と広げているから、いやでも目に映る。
暴れん坊の私は、いつも腹を空かしていた。
小学2、3年の頃だったか、学校からの帰り道、友だちの横田と麦畑で麦をかじって帰ったものだ。
ある日、私のひもじさに気づいたのか、横田が「松本、このパン食えよ」とポケットから昼食時に食べ残したカチカチのパンを恵んでくれた。ほぼ五十年ぶりに同窓会(豊中第三中学校)で横田に会った。「お前のパン、うまかった」と感謝のつもりで言ったが、本人はキョトンとしている。
そりゃ、六十年近くも前のことだ。覚えているわけがない。いつも空腹であった私には忘れられないエピソードだ。
身に染みた人の情は忘れないものだ。

 島田洋七の漫才(B&B)は大好きだ。
「信号が青やったら?」 「渡れ」
「黄色は?」 「気をつけ」
「赤やったら?」 「止まれ」
「ほなら、赤黄青が同時についたら?」 「……」
「あほか、こわれとるんや」
このノリは、『佐賀のがばいばあちゃん』の中にも感じられる。
だから、この泣きの中にも笑いがあるのだろう。
伊勢エビを食っていると信じていた人も、ザリガニだったと知ったら、笑う。しかし、この精一杯のつっぱり(虚勢)に、哀愁(ペイソス)すら感じさせないのが、上方のお笑いだ。
この笑いは泣かせてはいけない笑いである。
(つづく)


2007年6月1日
紘道館館長 松本道弘