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叱り上手も出世する

 このブログを読んだ人が周囲に集まってくるようになった。
 「叱られ上手」がよく話題になる。
 「叱られ上手」とは、すぐに謝る軽い人のことではない。めったに詫びない重い人が、謝るから真実味があり、そこに誠実さを感じさせるのだ。
 叱り方もそうだ。しょっちゅう叱っている人も軽い。
 では、確実に出世する「叱り上手」とはどんな人物か。
 松下幸之助翁は、叱りの名人だった。
 みんなの前で、部下を罵倒する。徹底的に面子をつぶし、恥をかかせる。
 その後の幸之助翁の残心が美事である。
 夜、その面子をつぶされた男の女房にこっそり電話をする。
 「あいつ、落ち込んで帰ってくるから、あんたから励ましてやってや」と。その会長の言葉で夫婦ともがんばる。以前よりハッスルする。
 (あいつ、元気に帰ったやろか。自殺でもせえへんやろか…)叱った松下幸之助翁の方が、もっと傷ついていたのだ。
 私を最も厳しく叱った師匠は、同時通訳の西山千氏であった。同時通訳の技術に関してはこてんぱんに叱られた。
 しかしいったんブース(同時通訳者たちは拷問室と呼ぶ)から離れたら、めったに叱らない。父と息子という関係になる。そんなやさしい師匠でも、叱る時は叱る。
 米大使館から離れて大阪の英語に戻り、久しぶりに英語道場の仲間の前で、英語のスピーチをした時も、「英語道場かなんか知らんが、そんなものは止めて修業中はあまり目立たないようにするべきだ」と忠告された。
 「いや、英語をしゃべるのは息抜きなんです」と言い訳をしたが、まずかった。そんなことを師匠は叱っているのではない。もっと本質的なことなのだ。
 プロになるまでは、苦行に耐えなければならない、米大使館からクビにされるぞ、という警告であったはずだ。
 その証拠に、一度他件で叱られたことがあった。たしか、インター大阪の仕事で、芸術家のための同時通訳をした経験について話したことがあった。相手が岡本太郎や黒川紀章など名だたる芸術家達の日英通訳をした時の経験談であった。
 「そうか君は、そんな体験をしていたのか」と褒めてもらえるのかと思ったが、反応はその正反対。
 「プロになるまでは、一切の仕事から手を引きなさい。修業に徹するんだ」
 その表情はまるで鬼。額には青筋が立っていた。
 「いえ、上京してからは、一度も。黙々と修業を続けています」と言い訳をすればできる。しかし、師匠の気迫に呑まれて言い訳などできず、黙って詫びた。
 「お前の同通はまだアマチュアだ」というのがthe messageである。それが事実なら、「あれは米大使館に入る前の話です」と言っても、「言い訳はするな」と怒鳴られていたに違いない。
 叱りか怒りか ―― そんなことはどうでもいい。
 師が怒っていることは確かだからだ。
 その時の私の気持ちはうれしかった。アポロ宇宙船の同時通訳者、同通の草分け。その師匠が一対一で私に教えて下さる。叱って下さる。畏れ多い。もったいない。その証拠に、その日の当用日記には、師匠の叱っている表情をペン描きしている。
 西山千氏の教育は、それは厳しかった。村松増美氏(國弘正雄氏と共に同通ナンバーワンと西山氏は絶賛する)が、「西山さん、あれじゃ、松本さんが可哀相ですよ」と、かばってくれたくらいだ。「いや、本人がしごいてくれ、と言うんだから」と氏は笑って聞き流す。
 世間で見せる、あのにこやかな表情の御仁と同一人物だとは誰も信じないだろう。
 「教育は一対一でなければ」「教室形式ではプロの同通教育はできない」
 私が今日、講演先で同時通訳のデモを行う時、西山千師匠のあの厳しい眼が光っている。今も気が抜けない。30歳の頃の私の修業は、厳しく、いつも腸がねじれる思いであった。
 ある日、胃腸の調子が悪いのでレントゲンを撮ってもらった時、胃腸に異常があった。ねじれていたのだ。
 医師から訊ねられた。「どんなストレスのたまる仕事をしているのですか」と。
 「同時通訳ですよ」とは言わず、「職業病でしょう」と答えておいた。内心は嬉しかった。(これで二回も胃の手術をされた師匠に近づけたのか)と。

 
2007年2月4日
紘道館館長 松本道弘