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 神々が好む色といわれる瑞々しい「緑」は、生命(いのち)そのものである。青信号の「緑」は、渡っても生命の危険はない、というシンボルだ。もしこれがblue lightと訳されると、死に接近させる信号だから、渡ると投身することになり、やばくなる。
 英語のシンボルはLである。
 life(命)は、live, love, lust(情欲)、libido(性欲)、liberty(自由)を讃美する。Lを解放させる(liberalize)人はリベラル派(liberals)を好むマスメディアだ。法律(law)こそ青の君主制から緑の人権を保障しようとするから、緑のlies(嘘)をも正当化する。緑(生者)を守り青(死者、英霊)を切り捨てる法治主義が情理に反するがゆえに、偽善に陥らざるを得ない。太陽の光線(light)は、影(shadow)の報復を受ける。Satanと同一視される傲慢な堕天使Luciferの末路を見よ。
 光エネルギーが期待できない夜の静寂(しじま)が訪れると、活動は停止する。眠る。そして時には、エネルギーのベクトルが逆転する。loveが憎しみ(hate)と嫉妬(jealousy)に変わり、不気味な森の緑に変色する。
 嫉妬の色は、英語では緑である。鬱葱とした森の緑は鬼(green goblin)が棲む不気味な色である。
 英雄スパイダーマンの好きな色は青と赤だが、スパイダーマンの宿敵グリーン・ゴブリンは緑色の悪魔だ。映画『エクソシスト』によれば悪魔が憑依すると、吐血まで緑色になる。そもそもgで始まる緑(green)の語感が、西洋人好みでない。中国の五行説によれば、中間色の緑は敬遠される。
 gray(灰色)、greed(欲)、grim(残忍な)、grimace(しかめっつら)、grime(垢、汚れ)、grotesque(怪奇、異様な)等々と、gとrのコンビは、どこか不透明なところがある。Greenbacks(ドル紙幣)を崇めるアメリカ人のエゴは所有欲(greed)に支えられている。緑は、草木が繁茂するように侵略的である。銅が緑青(ろくしょう)するのも、錆による侵略ではないか。英語のjealousyには所有欲が含まれる。「うちのやつ、やきもちやきでね」――これを英語に訳せばslightly jealous。まだ微笑ましいが、英語でいうjealousはpossessiveに近く笑えなくなる。”My husband is possessive, you know.” と女がいえば、かなり所有欲の露骨な誘惑発言と解することができる。
 緑は妬む。しかし青は妬まない ―― いや妬むことが許されないのが青である。
 ただし例外がある。映画『トロイ』で海の神ポセイドンが人間を妬む場面があった。真っ青な海原の守護神は、航海する人間どものように死ぬことが許されないから、彼らを永遠に妬ましく思うのだろう。流石ギリシャ的発想とみえて、そこに冷徹なるロジックを見いだす。生と死を対岸に置きながら、左右対称(シンメトリカル)の論理(justice)を用いて、平等に裁いているからだ。地中海の海は真っ青で、生気に乏しく、獲られた魚類は総て大味である。緑を帯びた日本の近海の魚とは味がまるで違う。
 私はよく知多半島の南端の料理旅館で伊勢湾を眺めながら、原稿を書く。その日も、まるは旅館の女将さんから「うちのまるは丸で、内海(うつみ)まで乗りませんか。豊浜に戻るまで1時間もかかりませんし、魚市場も見学できますから、息抜きのおつもりで・・・・・・」という有難い誘いがあった。
 その1時間、船長室で海の色を眺め続けた。内海の浜に近い海は緑色であった。
「近海の海面はいつもこんなに緑なのですか」と問うと、板野船長は「浜から離れると、青がかってきます。外海(三河湾や伊勢湾の外側)はディープ・ブルーですよ。100メートル以上の深海ですから」
「ディープ・ブルーですか。遭難の多い遠海では、漁師にとっては怖い色でしょう」と、私が口を挟むと、「だから、わくわくするんですよ」と破顔一笑された。
 青い海原は死と直面しているからこそ、赤い生命感を補色として受け止め、生き甲斐を感じさせるのだろう。色彩的な逆説にも、たしかに情理はある。
 その時私は、遥か彼方に浮かんでいる神島に眼を移してみた。三島由紀夫が『潮騒』を書いた、あのちっぽけな孤島だ。私も三島の残像を追って、フェリーでこの小島を訪れたことが幾度かあった。内海と外海を隔てた海峡は波が荒く、船が大揺れし、船酔いしそうになった。三島も波を恐れた。ところが神島の色黒い若者たちは、青海をものともせず、元気よく遠洋漁業に出かける。帰らぬ人となることもある。島中の住民が悲報を耳にして泣き崩れる。
 あの真っ青な海へ飛び込む、男たち。
 オレにはできるかな?仮面すら外せないオレには、そんな逞しい愛島意識はない。

  そう考えたかどうかは判らないが、群青色に魅せられた三島は、神島を去り、東京へ戻ってから、ボディー・ビルを始め、楯の会を結成し、市ヶ谷で割腹自殺をとげた。三島を青く燃えさせたのは、紺碧の空と海ではなかったか。それとも青空へ飛び立って、帰らぬ人となった「同期の桜」に対する譴責感であったのか――私の論理の及ばぬところである。さて、三島はバルコニーで檄を飛ばした。その異様な雄姿をテレビで見た島の人たちは仰天した。その時から島民たちは、紫色の鬼と化したその憂国の士を三島センセイと敬称で呼び始めたという。