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 歴史に「もしも」はない。もしも自決を覚悟していた三島由紀夫が市ヶ谷へ乗り込む前に、谷口雅春氏(「生長の家」創始者)に会っていたら…「割腹自殺は思いとどまっていただろうに。無念」と谷口氏は周囲に語ったと言われるが、今となってはそれも空しい話だ。
 同じように、もしも三島由紀夫が紺碧の海に囲まれた神島ではなく、エメラルド・グリーンに抱擁されている石垣島の民家で数日投宿していたら、という問いも空しいものだ。
 私が一泊した石垣島は、水が豊かな緑色の観光島である。ハワイでいえば、カワイ島のような美しい島である。この亜熱帯の島でふと、忘れてしまったはずの三島のことを思い出した。(まだどこかに未練があったのか)。
 オウム真理教の全盛時代に、松本智津夫被告は洗脳の場として船中とこの島の浜辺を選んだという。下船後2台のバスを借りて、川平のビーチへ直行。そこで毎日のようにどんちゃん騒ぎをし、海を汚し、地元の人たちからひんしゅくを買ったという。
三島由紀夫なら、独りで静かに来るだろう。そしてサンゴの研究をするだろう。あの若さで他界したのだから、学びたいテーマは星の数ほどあったはずだ。
 南方熊楠なら、サンゴが植物であり、動物であり、鉱物(石灰石)であり、サンゴと粘菌との相似にしびれ、その生態と、サンゴ礁の生態系全般に及ぼす影響の研究に余念はなかろう。しかし三島由紀夫は自分の生い立ちと結びついた私小説のネタを模索するだろう。
 三島由紀夫になりきって、私小説風に自分の心境を書いてみよう。
 私は礁原に棲んでいた。
 浅瀬の生活に飽き飽きしていた。
イソギンチャクのふとんに寝そべって、二匹のクマノミが接吻しているのを見て哀れに思った。
 考えてみれば私の少年時代は、ここで、ままごとごっこをしていたクマノミちゃんだった。
 礁原は生長し続けているサンゴ礁が、海と空気との境界で切り離されたエメラルド・グリーンの狭い空間だった。どこへ行っても、緑色の眼が私を見つめていた。ここでは死にたくない。
 青緑色に憧れて遠くへ泳ごうとしても、二匹の大きなメスが止めに入る。「環礁の外へ出てはなりませんよ、ぼっちゃま」と。
 私は、環礁の外の紺色の深海に憧れた。監視の届かない自由の天地――ぼくの死ぬ場所は、あそこだ。緑の近海なんていやだ。
 ある日私は夢を見た。あの真っ青な深海をスイスイと泳いでいる自分に酔っていた。
 私は、その時大きなあおーい(私の眼には緑色に映った)蛇ともうつぼとも見分けのつかぬ怪物を見た。
松本清張であった。
 エメラルド・グリーンの世界に憧れながらも、疎外されてきた清張という大うつぼは、深海から「ここは浜辺の坊やの来るところじゃない、ニモちゃんよ」と私に忠告する。
 「オレは、あなたにクマノミの坊やだと呼ばれる筋合いはない」
 その時、私は夢からさめた。
(夢の中で童話を書いていたのか)………こんな風なブログを三島が書くだろうか。蒼白きインテリ小説家が放つ青白い蛍光を凡才の私が著せるはずがない。
 サンゴ礁の生命のエネルギー源は太陽からの可視光線である。だから三島は紺碧の海と空を借景としたギリシャ神話に憧れた。青色に自由と解放を見た。それは死地へ誘わせるミッドナイト・ブルーのfreedomであった。その反対に、松本清張がきらびやかに輝く三島の世界に見たのは、獲得された自由、つまりエメラルド・グリーンのlibertyであった。三島にとりlibertyは緑色の刑務所であり、そこから青への脱走を彼が夢見ていたとは、松本清張といえどもご存知なかったのではないか。
 この石垣島(人口4.7万人)は観光収入で支えられた緑島だ。
 ダムも三個所あり水資源に恵まれている。水田、マングローブと緑に囲まれたサンゴ島だ。アルカリ土壌がサトウキビの栽培、黒糖そして泡盛の製造に適しており、自給自足に適した風土条件を備えている。
 9年前に発見された鍾乳洞にはアミメサンゴの化石が発見されている。海人(ウミンチュー)に憧れた三島にとり、この島人(シマンチュー)たちは、農業の人、つまり畑人(ハルサー)に思えてならない。
 三島ならこうつぶやくに違いない。
 「畑人(ハルサー)の生活は安定していていいよなあ。東大出のオレの同期生のようにヌクヌク育っている。官僚とは、やつらの死骸が重なり合って造り上げたサンゴ礁ではないか。天下り族には海人のロマンがわかるまい」
たしかに、琉球人にとり、海こそ道なのである。三島がノスタルジアを感じたのは、かつての島津藩に解体された琉球王国であった。
 ヤマトンチュー(本土の日本人)の天皇制に似た、王制がここにもあった。天皇に当る聞得大君(キコエノオーギミ)が今の日本に君臨していれば、日本は海洋国家としての体裁と誇りを取り戻すことができ、日本国民が北朝鮮に拉致されても手も足も出ないという無様はまずあり得まい。